看護師資格取得と国家資格受容意識を明確にする方法

看護師国家試験

看護師になってすぐの頃、たとえば「今日は午後から手術室の看護師さんが術前訪問にこられる予定なんですけど…」といった報告をすると、先輩に「看護師さんなんて言わないで。あなたも看護師よ!」って言われた経験はないだろうか。

つい昨日までは、看護師を客体化して”さん”づけで呼んでいても、免許をもち、自分自身がその看護師になって資格を持ち、職場に立つと呼べなくなる。

看護師になるとは、きわめてシンプルに考えれば看護師免許を取得することに他ならない。学校ごとに教員は異なるし、科目の内容や講義の進め方、それに臨地実習の状況はさまざまだ。

しかし、国家試験を受験するために必要とぎれる単位はどこの教育機関であっても基本的に同じであり、その単位を修め、国家試験に合格すればみんな同じ看護師免許をもっことになる。そして合格したその瞬間、統計的には看護師の仲間入りをしたことになる。

現場での看護とい世界への参加、受容意識を明確にするのは、どういう意識付けを自身ですればいいか?
この社会対応意識は、”看護”だけの世界ではなく、企業社会でも十分に有用するスキルという表現よりも意識付けと言葉に表した方が明確だろう。

統計、感情、制度などの背景から、その自身での企業社会への仲間入りをする意識付けの仕方を考えてみよう。

看護師免許と責任

統計の上だけでなく、気持ちの上でも仲間入りをする感覚、あるいは仲間を迎える感覚を「同僚性」と呼ぶ。同僚という響きは、「あの人は私の同僚の○○さんよ」といったように企業社会でも違和感なく使われるのだが、ここでいう同僚性とは、より深いレべルでの専門職としてのつながりをさす。

すなわち、同じ免許をもっているという認識の上に立って、互いが対等の関係であることを前提に仲間を尊重し、成長を助けること。そして、看護に対して深いレべルで共通理解を得られる関係性をいう。

狭い意味では、ある特定の職場における看護チームのメンバー同士の関係性をさすが、実はもっと広く深い考え方であり、見知らぬ看護師であっても、その人が「看護師」だというだけで、同業者意識や仲間意識を感じる。そんな感覚が同僚性である。

たとえば、マスコミをにぎわすような犯罪やスキャンダルが起きたとしよう。誰が起こした事件であっても不愉快なことに変わりはないが、その見出しが”看護師による保険金目当ての傷害事件”などとなっていると、自分も看護師であるがために不愉快を通り越して気分が悪くなることもある。

そんな見出しを大きく載せているような新聞は全部買い占めて、社会に看護の不祥事を出さないようにしたいという衝動に駆られても不思議ではない。

その事件を起こした当事者とは、会ったことも話したこともなくても、そういう気分の悪さが生じるのは、「なぜ、私と同じ看護教育を受けて、ケアを生業とする看護師の免許をもっている人がそんなことをするのか」と理解に苦しんだり、「看護師の名を汚してくれるな」という怒りとも悲壮感ともとれぬ感情をもったりすることによる。

それも全部、同僚性によるものだ。そのー方で、看護師の活躍ぶりが報道されると、自分もその人みたいに頑張ろうと思えたり、そういう活躍を我がことのように誇らしく思えたりするのも同僚性である。

同僚性というのは、ただ単に職場を同じくするというだけでなく、同じ免許をもつ専門職としての心理的なつながりが基盤になっている。

免許・国家資格の重み

それでは、同じ免許をもっているということが、どうしてこのような同僚性を育むのだろうか。

世の中にはいろんな免許があるが、国家資格で、しかも相当期間の教育を積まなければ取得できないというところにこだわれば、看護師免許のもつ重みが同僚性をもたらす大きな要因として考えられよう。

免許の重みについては、2008年現在国際看護師協会の会長である南裕子先生が、授業中に学生に対して次のようなお話をされていた。

「交通事故を起こしたとき、罪が問われるのは皆同じです。だけど、万が一ひき逃げをしたときには、医師や看護師などの罪はそうでない人たちに比べると重くなります。なぜなら、医師や看護師は人の生命を救うことを求められる仕事なのに、その職務を遂行せずにその場から逃げ出したということが問われるからです」。

たしかに、警察官や消防士などを含め、非常に倫理観が高く社会性・公共性が強いと認識されている資格仕事に就く者が、その場を放棄することの謗りは免れない。

ひき逃げのような重大な事故や事件でなくとも、日常的に「あなた、看護師なんでしょ!」と他者から非難されるような場面では、ただ単に自分が看護師という”鎧”を着ているだけではなくて、ハートの部分も含めた総体として看護師であることを求められていることに気がつく。

平成27年2月19日(木)、20日(金)、22日(日)に実施した標記試験の合格者数

出願者数 受験者数 合格者数 合格率
第101回保健師 16,892人 16,622人 16,517人 99.4%
(うち新卒者) 15,614人 15,440人 15,381人 99.6%
第98回助産師 2,052人 2,037人 2,034人 99.9%
(うち新卒者) 1,990人 1,976人 1,975人 99.9%
第104回看護師 61,480人 60,947人 54,871人 90.0%
(うち新卒者) 55,348人 55,015人 52,547人 95.5%

出典:厚生労働省

免許をもち資格を得ているということは、それをもっにふさわい能力が備わっていればよいというだけでなく、それをもつ覚悟も求められているということだろう。

ところで、免許を保持するのにふさわしいかどうかを審議するのは厚生労働省の医道審議会看護倫理部会であり、その答申を受けて処分が決定される。

たとえば、平成19年3月には、看護師1人が免許取り消し、4人が1年6カ月1カ月の業務停止とする行政処分が決まっている。免許取り消しとなったのは、女性に精神安定剤を混入した酒を飲ませ乱暴したとして、準強姦罪で実刑が確定した男性看護師である。

先に述べた同僚性を考えれば、犯罪が確定した段階で、すでに看護師仲間として認めづらいものがあるのだが、免許取り消しに至るのは、かなりの重罪に限られているようで、薬剤の窃盗や処方箋の偽造などは業務停止処分となっている。

看護師は厚生労働省が認めた国家資格なので、司法の決定とは別に免許保持の是非は同省が責任をもって決定している。日本国憲法とは別に、看護師としての資格の処分が審議されるのであるから、つくづく国家資格の重みを感じざるを得ない。

免許更新制度の導入の是非

国家資格の質をどのように保証するかという観点から、看護師免許更新制度について、ここ数年論議がなされている。運転免許でも更新制度があるのに、人の命を預かる仕事に更新制度かないことに対して疑問が生じるのは当然だろう。

このことは早くから議論されているにもかかわらず、なかなか進展をみないのは、医師免許の更新制度の論議が決着をみていないからだ。医師免許の更新制に関しては、政府の規制改革・民間開放推進会議などで議論されているのだが、自民党の医療関係議員などの反対が強くて硬直しているようだ。

看護免許の更新と継続教育の重要さ

だが、日本看護協会としては、早くから免許更新制度を前向きに検討すべきという見解を示している。免許の更新と継続教育とをリンクさせて、看護職者としての資質を担保しておかなければならないというのがその趣旨である。

もう何年も前のことになるが、中国の福建省看護協会に出向いたことある。そこでの講演会場に到着すると受講者の長蛇の列ができていた。何
をそんなに並んでいるのかとのぞいてみたら、受講証明印を押してもらっていることがわかった。

中国の看護師免許は更新制をとっており、次の更新時期までに、職位に応じた研修の受講や学会活動が求められているとのことであった。その説明を聞いて、看護師たちが必死の形相で列をなしていることに合点がついた。

生涯教育を義務化できないか

免許の取得は、その免許をもっている人にしかできないことを行ってもよいという許可を得ることだ。スタート地点に立つ許しが与えられたにすぎない。その免許に自らが磨きをかけるために、専門職にはスタートした後も学習を積むことが当然求められる。

だから、福建省の看護師に限らず、継続学習のために研修を受講する姿勢は日本でも同じだと言いたい。しかし、国内で研修をしていると、「師長さんに、あなたこれに行きなさいと言われたのでこの研修を受講しています」というスタッフの素直な意見を耳にする。

必ずしも自発的に研修を受けているわけではなく、明らかにイヤイヤ座っている様子が目に飛びこむと、ついつい福建省で見たあの光景と比較してしまう。

免許更新制は専門職の使命

日本医師会は、専門職なのだから自分の責任で自律して継続教育を受けるべきだと主張している。それも一理あると思う。しかし、本人の自律性に任せるには、あまりにも医療の高度化がスピードアップしており、情報量も膨大になっている。

自律した職業人として、自分に必要な生涯教育が何なのかを取捨選択していくことは大切だ。

しかし、国民が安心して医療を受けるためには、医療者の内部でのみ統制機能を働かせるのではなく、医療の質が保証されていることの証を免許の更新というわかりやすい形で公に示していくことも必要だと思う。

2005年の3月、「規制改革・民間開放推進3か年計画」の検討項目から医師免許の更新制度導入に関することが削除されることになった。「なぜ、医師だけに厳しい制度を設けるのか」という反対意見が相次いだとの記事を目にするが、たしかに弁護士などの免許も更新制ではない。

しかし、他の国家資格がまだ更新制度を導入していないことなど理由にほならない。自分たちで自分たちを律することが自律であり、それをわかりやすい形で社会に提示することは専門職の使命だと考えるからだ。その意味で、同年の6月に、看護師の免許更新制が本格的に検討されると決まったことは評価したい。

周囲の人たちが、「看護師は資格のある仕事だからいいね」と言う言葉には、食いっぱぐれがなく経済的に安定しているという意味が多分にあるだろうが、それだけではないと思う。

おそらく、資格をもって仕事をするということで誇りを感じられることだとか、社会的信頼が厚いことだとか、資格に恥じない向上心をもっていることだとかといったことに対するいくばくかの羨望や尊敬の気持ちが混ざっているのではないだろうか。

そんな資格をもつ仕事なんだということを改めて認識したい。

まとめ

昔から、役所、学校、病院は封建的で世の中の動きから遅れていると揶揄されてきた。しかし、こと免許更新に関して言えば、文部科学省が厚生労働省よりも先んじた。

2007年6月に安部内閣(当時)の国政重要課題である「教育再生」の考え方のもと、教育改革関連3法が成立。教員免許更新制の導入が決まったのだ。
世の中は動いている。

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