看護リフレクションと看護実践事例

看護実践事例

ここでは、リフレクションを行うことができる看護師になるためにはどうしたらいいのか、その実際を考えていきたいと考えます。

私が臨床で働く看護師と一緒に、看護研究に取り組むようになって、10年が経とうとしています。この間、私が一貫して貫いているのは、発表のためや義務感から取り組むのではなく、看護師自身の明日の実践を深め、看護に対する信念を積み上げ、ケアの質の向上を目指すことを研究の目的としました。

私が取り組みを始めた当初、看護研究とは、看護師たちにとって順番が来たからやらなければならない通過点でした。とりあえず何かをまとめて、発表すれば終わりといったものだったのです。

看護師は精密な研究は望めない

臨床の看護師は豊かな経験をもってはいますが、系統的に看護研究の方法を学んだり、行ったりした経験者は少ないので、研究者のような精密な研究は望めません。しかし、豊かな経験をもっている、あるいはいつも臨床現場にいるという強みは研究者の比にならないのです。それならばその強みを最大限に生かして、自分たちの実践の糧になるような「看護研究的な取り組み」を行おうと考えたのです。

その1つとして、事例研究を取り上げました。実際に実践した看護を振り返り、その看護の内容を記述し、何らかの理論などを基盤に仲間とともに分析と解釈を行い、自分たちの実践の意味や価値に気がつく。

そして、その過程を踏むことで複雑な現象を解きほぐす手立て(思考過程)を身につけ、実践をしながらその実践から学びをつかみ取る力をつけることを一番のねらいとしました。それは、実践から学びを得ることができる力をつけると、日常の何気ない看護に深い意味があることがわかり、看護師としての信念が深まると考えるからです。

私が目指してきたものは、直接的に学問の発展のために新しい知見を得ることではありません。多くの看護師たちと取り組んできた事例研究とは、実際はリフレクションなのではないかと考えています。

リフレクションは臨床での実践を振り返る方法

この方法を通して私の身近にいる看護師は、日々の何気ない看護実践に潜む臨床の知を記述してきたとも自負しています。さらに、リフレクションによって得た学びを実践にどう活かすかが、次の課題でした。

そこで、リフレクションの内容やそのプロセスにおける体験を語るという、「リフレクションをリフレクションする」場を創造しました。その場は、研究発表とは違った味わいのある場となりました。ささやかながら、 1人の看護師によるリフレクションでの学びが、他の看護師の実践にリレーされていく豊かさを味わうことができたのです。

まだまだ発達途中ではありますが、この取り組みが看護師の実践能力を高めることにつながり、看護師の行うリフレクションに価値が置かれ、臨床の知を集積していく1つの方法として臨床での知識を体系化する一助となればと期待します。

リフレクションとは何か

リフレクションの歴史的背景

リフレクションとは1900年代の前半に、デューイによって「そのひとの信念の根拠を評価すること」と定義され、その後、ショーンらによって広められた概念です)。

デューイは教育哲学者であり、人が学習したり、成長したりするための中核になるものとして、経験の重要性を述べています。経験が重要なのは、不確かな状況の中で「うまくいくまで、あれこれやってみる経験の中に暗示されていた思考が明示される」からであり、「思考は探求の過程であり、事実を調べる過程であり、調査の過程である」という概念を打ち出しました。

経験における熟慮

このことをデューイは〈経験における熟慮(リフレクション)〉と説いています。

これは、経験の中から生まれる知識というものがあり、人はなかなかそれに気がつかないために、意識して経験を積んでいくことによって、その知識に気がつき、身につけていくことができるという考え方です。

つまり、経験から得られる知識を身につけていくために、意識して経験を積んでいくことがリフレクションであるのです。

ショーンは、デューイの「知識は実践から生まれる」という思想に、強く影響を受けたといわれています。彼の考えの根底にあるのは「変化の哲学」の探求です。経験から学び、その学びによって実践の質的な変化を促し、新たなものを創造するリフレクションは、ショーンの思想の根幹です。

この考えは、ゆるぎない法則や安定性を求める従来の実証主義)の考え方に対して、「人は一度たりとも同じではない」という、変化こそ実在であるとの古代の哲学に源を発する考えなのです。

反省的実践家という専門家像へ

ショーンは、1900年代後半、米国社会が高度テクノロジーの発展や、経済的変化などに直面している時代に、技術や道具と社会変革の中心を担う専門職のあり方と教育に焦点を当てました。そして、1980年代にショーンは、専門家像の新たな方向性を示しました。それは、従来の技術的熟達者に対する〈反省的実践家(Renective Practitioner)〉という専門家像でした。

技術的熟達者とは「現実の問題に対処するために、専門的知識や科学的技術を合理的に適用する実践者」のことです。これは理論と実践という二項対立的思考に基づいています。私たち看護師に隣接する医師を考えると理解しやすいと思います。

医学の世界は、基礎、応用、臨床と階層分化が作り出されることによって、専門が細分化されたのは周知の事実です。しかし、細分化された専門知識と技術の適応では、例えば、慢性疾患や複数の病気をもつ患者が抱える複雑な問題などは、解決が困難になってしまいました。

これに対して反省的実践家は、「専門性とは活動過程における知と省察それ自体にあるとする考え方であり、思考と活動、理論と実践という二項対立を克服した専門家像」であるといわれています。

反省的実践家像は、医師などの専門性と違って、行為をしながら(経験を積みながら)、探求としての思考を行う専門家と考えられ、教師や看護師、介護士などの専門家をさしています。

米国の看護教育者たちによって、リフレクションは専門職として求められる実践力を育成させる教授法であると考えられるようになり、学習の道具として取り入れられました5。専門職の教育として「高度な実践に必要な知識とスキルの育成のための機会を学生に提供するべき」であり、さらに、「実践で行動を起こすためだけのものではなく、リフレクションを通して実践から学ぶことができる能力」をもった看護師の育成が目的とされたのです。

日本の看護基礎教育はリフレクションの考え方を学習

臨地実習の中で行うことによって、学生の実践の道具として効果が表れると考えられています。「リフレクションは思考のスキルであり、 トレーニングすれば身につけることができる」と、教育可能であると一般的には考えられていますが、反面、定着が難しい現状があり、教員がリフレクションの価値に気がつく必要性が述べられています。

看護の世界で注目された理由はいくつかあると思いますが、専門家は、特定の領域で行為を行い、不確実で不安定で複雑な状況に直面するという看護師の働く場が関係していると考えています。

つまり、看護師は似たような状況を経験してはいますが、同じ状況を経験することがない場で実践を行っているからです。看護学は医学と同様に、何らかの健康障害を有する人間が対象ですが、医学のように実態としての身体を対象としていないので、基準値がありません。ですから、専門的な知識をもとに技能として患者にケアを提供するときに、その患者の状況に沿った援助が求められます。

状況に対応するために、経験を通して学ぶ方法を看護師は知っておく必要があるでしょう。

看護学生にとって看護の経験は臨地実習の中で行われる限られたものですが、看護基礎教育でもリフレクションを学ぶことによって、時間はかかるとしても、臨床で経験を積むうちにその方法が必ず役に立つと思われます。

一方、リフレクションを学んだ学生が看護師となって活躍でき、その成長を助けるためにも、臨床看護師が経験から学ぶ力をつけることがより重要ではないかと考えます。

それは、ショーンの功績としては、これまで非科学的だと考えられてきた実践から生み出される知識を正統化し、その有用性を明らかにしたことだといわれています。

専門家としての実践者は実践の中でリフレクションを通して、自分の行為から学び、そして有効な行為を選び取ることができるということを明らかにしてくれたことを意味します。そしてこのことは、私たち実践者に、大きな勇気と力を与えてくれたといえるでしょう。

リフレクションと看護

臨床看護師が行うリフレクションとは

私たちは毎日3食の食事をします。その食事内容を全て記録する人は多くはないでしょう。ですので、夕食に食べたものを翌朝には思い出すこともなく、聞かれてもすぐには思い出せないことも多くあります。

このように、人間は気にしていない物事に関しては、体験したことであっても「ああ、そういえば」という程度で済んでしまうのです。一方、ダイエットブームの昨今では、レコーディング・ダイエットという方法がはやっていますが、これは、自分が食べたものを詳細に記録していくという方法です。

従来からあるセルフモニタリング法と同様だと考えられます。食事内容を記録することで、「自分の食事や健康に責任をもつことができる」とダイエットに成功した人が述べていました。

記録することで自分が何をどのくらい食べているのかを確認し、ダイエットのために次の食事を意識することができます。これもリフレクションの1つではないかと思います。

つまり、人間には思考して学習するという能力があり、リフレクションとは誰でもが本来もち得ている、学習するための能力であると考えられているのです。

しかし、前述したように、リフレクションとは、単なる振り返りや反省ではなく、意図的に「知識の本質に関する哲学的探求によって知識を「経験によつて引き起こされた気にかかる問題に対する内的な吟味および探求の過程であり、自己に対する意味づけを行つたり、意味を明らかにするものであり、結果として概念的な見方に対する変化をもたらすものである」

「実践を記述・描写・分析・評価するために、また、実践からの学習の情報を得るために、実践の経験をふり返り吟味するプロセスである」

獲得していくプロセスの中で、入念に概念を練りあげ」、実践的な振り返りのプロセスを行うことであるといわれています。

リフレクションはさまざまな研究者によって定義されており、明確な定義が行われていない現状ではあります。田村は「リフレクションは状況との対話をしながら、実践家が行動について意図的な選択を行い判断するために、経験を注意深く根気強く熟考するものであり、自己との対話を通して自分自身や自分の行為に意味づけをするプロセス」であるとしています。

私は田村の定義を参考に、臨床看護師が行うリフレクションを、学習のツールというよりも思考のプロセスとしてとらえ、「看護師が状況に沿った意図的な実践を行うために、一定の方法を用いて自己の看護実践を振り返り、実践に潜む価値や意味を見出し、それを次の実践に生かすことによって、さらに状況に沿った意図的な実践を行うためのプロセス」と考えています。

看護師は患者の状況をとらえ、いったい何が起こっているのか探求し、行為を行います。そして行為に対して患者がどのような反応を示すかを確認して、次なるその状況を探求します。そうすることによって、判断を行うときに自分の知識や過去の経験や感情を考慮しつつ、自分をも探求していくからです。

リフレティブな看護師とは

では、リフレクションを行うことができる看護師とは、どのような実践家をいうのでしょうか。現場を切り盛りする看護師たちは、日の前にある仕事を「こなす」ことで精一杯です。「看護がどうかより、今、ここをどう切り抜けるかしか考えていない」と、悲鳴にも近い声が私の周囲をめぐります。

しかし、私はそんなときほど、自分たちが行っている看護実践を意味づけ、価値あるものとして立ち止まることができる看護師として、状況に対応できる看護師であってほしいと考えています。そうしないと看護師は心身ともに疲弊するばかりです。

看護師はある患者とのかかわりの場面において、今、この状況で何が起こっているのかを判断し、その状況に対応しようとします。この状況に対応しようとすることをく状況との対話(conversation withsituation)〉といわれています。

そして、看護師が対応する状況は止まっていることはなく、常に流動的ですので、それに合わせて看護師は実践しながら考えて行動をしています。そして、その対応(判断)はそのとき。その場で行い、これまでに培った看護経験や修得してきた知識などからの学びを瞬時に活用して、看護を行っていきます。

行為の中のリフレクション

このように看護師は状況を判断して行動を行っていますが、〈行為の中のリフレクション〉を意識して行うためには、自分が行った実践を振り返る〈行為についてのリフレクション(renection onaction)〉のトレーニングを積むことが求められています。

状況を判断し、行為をし、行為を振り返ることによって、次の行為を行い、患者のもつ本質的な問題に届く実践を行うことができる看護師が「リフレクティブな実践家」といえるのです。

状況との対話」と「自己との対話

看護師は〈状況との対話(conversation with situation)〉を通して、〈行為の中のリフレクション〉を行い、また、〈自己との対話(conversationwith oneself)〉が必須であるとされています。

看護師が実践を経験していく中には、さまざまな感情や思いが湧いてきます。そのような感情にはこれまでの経験や修得してきた知識なども関係します。自分が何を感じたのかをそのままにしないことが、経験としての質を高める貴重な学びになると考えられているのです。

行為の中のリフレッション

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  • 「行為の中のリフレクシ∃ン(「eflection in action)」は「看護実践家が新たに出会う状況や問題を認識し、行為している中でそのことを考えるプロセス」を意味する
  • 「行為の後のリフレクシ∃ン(reflection afte「action)」は、例えば1日の仕事を終えた後、電車に乗りながら気になつた場画を、「これでよかったのか、ああすればよかったのかもしれない」「患者さんのあの言葉はどういうことだったのだろう」などと振り返ること
  • 「行為についてのリフレクション(reflection on action)」は「看護行為を後から思い起こし、分析し解釈することによつて、ある特定の状況で用いた知識を明らかにするためにされる回顧的な吟味」である

その基本的概念

リフレクシヨンによつて得ることができるもの

  1. 学習二―ズを明確にしていく
  2. 人としての個人的成長につながる
  3. 専門家としての成長につながる
  4. 習慣的な行為から脱却する
  5. 自分自身の行動の結果に気づく
  6. 観察に基づく判断から理論を構築していくことができる
  7. 不確実性の多い事柄を解決したり決定することができる
  8. 個人としての自己をエンパワメントしたり解放することができる
    (田村由美・津田紀子:リフレクションとは何か― その基本的概念と看護。看護研究における意義、看護研究より)

つまり、自分が備えている信念や価値観、態度がどのように他者に影響を与えているのかを認識することが欠かせないのです。

リフレクションから得ることができるもの

では、看護師はリフレクションを行うことで、何を得ることができるのでしようか。

看護師はリフレクションを行うことによって、「その状況でいかに異なる対処ができたであろうか、そして他のどんな知識が役立ったであろうか」ということが探求でき、状況に適合した解決を行うことができるようになります。

まとめ

さまざまな状況に対応できる能力を備えていくことは、自己を啓発していくことでもあります。自分で自分を高めていく力は、人としての自分を成長させることにもつながります。

このことによって、実践を行いながら看護を探求することができ、何気ない看護にこそ、深い意味があることを実感し、物事の見方に変化を与えることができます。それが看護を行う誇りや喜びにつながっていくのです。

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