新人社会人必見!看護師感情労働から学べる自己管理方法の簡単基礎知識

献身の誓いを立てた看護師

患者さんに、「思いやりがあって」「やさしい」看護師だと言われるのは嬉しいことだ。

どんなに忙しい状況であっても、どんなにつらい思いをしていても、忙しさやつらさは患者さんには関係ない。

看護師は、患者さんが少しでも居心地よく、安心して療養生活を送れるように環境を整えなければならないから、自分の状況がどうであれ、目の前にいる患者さんに思いやりを込めて接するのは当然のこととはいえ、感謝されるのはやっぱり嬉しい。

だが、いざナースステーションに戻ったら、状況は一変する。

輸液の準備、医師の指示受け、検査出、入退院に伴うべッド移動、記録など、効率的に手際よく仕事をこなしていくことが求められる。次々と押し寄せる業務を前に、無駄口をたたいている暇などない。

患者さんの前では「明るく」「笑顔で」接するが、患者さんのそばを離れて後ろを向いた次の瞬間、その顔が「こわばり」「いらだち」のために「焦り」や「怒り」の形相に変貌する。

それを上手に使い分け続けていると、どちらが本当の姿の自分なのかがわからなくなってしまう。
では、自分の本当の姿で看護の仕事に邁進するにはどうすればよいのだろうか?

ここに、看護師感情コントロール方法のヒントを書いていこう。

看護感情労働は感情移入を基盤にしている

シオバン・ネルソンの大著「黙して励め」に目を通すと、看護師は看護修道女と呼ばれていた時代があったという。

内容詳細

シオバン・ネルソン「黙して励め」近代看護の確立は、19世紀後半にナイチンゲールによってなされたというのが一般に流布している説だが、実は修道女たちが17世紀以来黙々と実践し19世紀前半に確立したものであって、ナイチンゲールはそれを言語化したにすぎないとも言える。

本書は、その歴史を克明に辿るとともに、なぜ看護職集団が、「多くを語らずに黙々と働く」集団となったのかを明らかにする。護の展開を、宗教的・社会的摩擦という錯綜した文脈に位置づけることによって、新たな看護史を提示した画期的労作。

出典:教文館公式ホームページ

看護師が、(神への)「献身の誓いを立てた女性」として看護活動を開始したのは、女性が専門職として社会の中で活動することが困難であったため、その選択をするのが賢明だったからのようだ。

そのような歴史的背景を受け、「看護という労働が献身性をもつ」ようになったという。看護師が白衣の天使として描かれ、微笑を絶やさずに献身的だというイメージをもって語られるのも、このような原点を考えれば納得がいくことは、ナースの自己表現を不自由にしている背景内の看護師は「人の役に立ちたいという気持ちが強い」という動機から看護の道を選択したはずである。

だが、イメージはともあれ看護師だって人間であり、感情移入も当然行われる。

感情移入を拒否することは、腹が立つこともあるし、泣きたいときだってあるのに、患者さんの前ではそういう感情をできるだけ見せないようにしつけられ、いわゆる看護師らしい看護師に仕上げられていくことである。

そうしなけれぱ、さまざまなケアニーズをもつ患者さんに提供している看護ケアの商品価値が下がると考えられているからだ。このような仕事をホックシールドは感情労働と呼んだ。

賃金と引き換えに売られる感情労働は、商品価値を有しており「公的に観察可能な表情と身体的表現を作るために行う感情の管理」だと定義されている。

感情労働が求められる職業には3つの特徴がある

まず、

  1. 対面あるいは声による顧客との接触が不可欠であること
  2. それらの従事者は、他の人に何らかの感情変化(感謝の念や恐怖心など)を起こすこと
  3. このような職種の雇用者は、研修や管理体制を通じて労働者の感情活動をある程度支配することである

ホックシールドが、このような特徴を見出すに至った調査の対象は、航空会社のフライト・アテンダントであったか、米国国勢調査の標準職業分類に基づけば、アメリカで働く人の3分の1以上が感情労働に従事しているというから、彼女の調査結果には汎用性がある。

感情や社会的背景のケアも看護である

看護師は、援助専門職として人に関わる仕事であり、対象となる人々の心身の状態や変化をモニタリングしながら、安心・安楽を提供している
。疾病を抱えている状況の中にあっても、この病院に入院してよかったとか、病気になった自分と向き合えるようになれた、とかというように、少しでも肯定的になれるように気を配っているのである。

一人の人間の”部分”ではなく、感情や社会的背景をも含めた”全体”としてケアするという看護の仕事は、まさに感情労働に他ならない。そして、オリエンテーション時や、コミュニケーションや接遇などの研修機会を通して、組織的に感情労働に磨きをかけるべく継続的な教育が行なわれているため、先に述べた「第3の特徴」も該当する。

社会人として厳しい看護感情コントロールが求められる

感情労働者には、職業に応じて感情をどのようにコントロールすべきか、適切な感情とはどのようなものなのかといったような意識的・無意識的な基準がある。

これはホックシールドによって感情規則と呼ばれているものだが、特に、専門職の感情規則は、専門職の規律や訓練の中に埋め込まれており、良識や客観性を備え、感情を超越することが大事にされている。

個人的な感情がどれほどのものであろうとも、それを冷静にコントロールしたり、クライアントや患者に共感を示したりすることが求められるため、専門職には一般的な顧客サービス業よりも広範で、なおかつ厳しい感情作業が必要になる。

ネガティブな感情との付き合い方

看護師は、基本的に人の役に立ちたいとか、人に関わる仕事をしたいという志向をもっている。そのため、看護の仕事が感情労働であるかどうかがここでの論点ではない。

問題は、感情労働が、深層演技と呼ばれる本人も気づかない深いレべルの演技で成り立っており、その演技がうまくできないと(感情のコントロールができないと)、自他共に”駄目な看護師”と評価されてしまうことだ。

一例を挙げてみよう。看護師のグループに”倫理”の研修でのときのことである。

深層演技が下手な看護師

参加者に日常的に倫理課題だと思うことを挙げてくださいというと「こんな下品な患者さんは早く退院してほしいと思いながらケアしてしまっている」「認知症の患者さんはなるべく入院してこないでほしいと願っている」といった発言が聞かれた。

たしかに、このような胸の内は公にできる内容ではないが、そのように感じてしまう自分の感情を倫理問題ととらえる感性は、看護師に埋め込まれた感情規則に基づいた深層演技がうまくできていないことへの反省から生じている。

「ナースステーションで患者の悪口をいって憂さを晴らしたり、涙をこらえて何も感じないふりをしたり」といった感情管理は「看護という仕事のなかで必要不可欠な部分」であり、看護の仕事に感情管理がつきものだということがまったく理解されていないことでもある。

看護師は深層演技を消し去る

個人としての素直な感情と、看護師として見せるべき態度が整合しないとき、プロフエッショナルとして前者を封印するのは当然だが、そのことに罪の意識や倫理的な問題を感じてしまうと、仕事として成立させるのが難しくなる。

新人看護師のリアリティショックの類型の1つに、医療専門職のイメージと実際の言動とのギャップというのがあった。これは、学生時代には想像もつかないような患者さんへの悪口や、横柄な態度が医療者にみられて、新人が愕然とする様をいうのだが、社会人になり現場での感情表現がいたるところで行なわれているということだ。

患者に対してネガティブな感情をもってしまうことを、カンファレンスや勉強会などの場で話し合ったり、共有したりすることが必要だと思われるが、感情を「外にあらわすことは不適切だとする感情規則があるため、強い感情がわくたびに、その感情をなんとか自分で管理しようとする」から、なかなか公の場で話し合われることはない。

だから、憂さ晴らし、悪口という形に変わって表現される(もちろん一部の人)。感情をマネジメントすることが仕事(感情労働)だからこそ、自然にのぼってくる感情について、プロフエッショナルとしてもっと話し合われるべきだと思う。

感情マネジメントとキャリア

さて、なぜ感情労働がキャリアの問題に結びつくのかという本題に入ろう。

簡潔に言えば、感情をうまくマネジメントできないと看護師を続けることが苦しくなるということだ。このことを感情労働と自分との関係性という視点からホックシールドが分析を行なっている。

看護師の感情管理の問題

看護師の感情管理の問題点

感情労働者は3つの困難にぶつかりながら、自己を再定義している

1つ目は自分と自分の仕事とが一体化されてしまうという問題だ

患者さんが外来の待ち時間が長いと不満を言うとき、それは大抵、医師の診察が長引いていたり予約システムの運用が問題だったりする。しかし、不満の矛先を向けられた看護師は、あたかも自分が至らなかったように感じることがめるだろう。

ホックシールドによると、そのような人は、状況とその状況に一体化させている自分とを分けること、すなわち脱個人化する能カを発達させる必要があるという。

2つ目は、働きかける相手と気持ちがそぐわないという問題だ

日勤で8人もの患者さんを看ていると、心を込めたケアをしたいと思っていても、取り繕われた表層演技しかできない。そんなとき、自分は患者さんに申し訳ないことをしていると捉えてばかりではつらい。

心からケアしたいと望んでいるが、時間や人数の制約などから、看護師として心を込めた態度を常にとれるわけではないことを認める必要があろう。

3つ目は、気持ちがそぐわない相手に対して、自分の本当の気持ちを抑えて演技を行うとき、自尊の感情を維持することができるのかという問題だ

病棟には、不特定多数の患者さんが入れ替わり立ち替わり入院してくるし、看護師勤務体制からくる心身の疲労回復の9原則で話すとおり看護師の疲労度を解決できず、そのすべての人に対して、看護師の感情規則に従ったふるまいをすべきだと自分に命じ続けるのは難しい。

その命令が過剰になると、仕事を自分から切り離してしまい、仕事上で何が起きても真剣にとらえないようになるか、表層演技をすることさえも拒んで引きこもるようになるといった対処行動に出るようになるとホックシールドは指摘する。

そうなれば、いったん仕事と自分との距離をとり、自分のしている仕事を客観的に評価する視点をもつことが肝要であろう。

まとめ

社会人としての看護師の感情労働が、人間の心理的コストに支払う代償が大きいことに警鐘が鳴らされている。仕事に献身的になりすぎると燃え尽きてしまうし、自分と自分の職務を切り離して表層演技の達人になれば、正直でない自分を不愉快に感じてしまう。

だからといって、演技することを職務だと割り切ってしまうと、自分の仕事はどうせこういう仕事なのだと皮肉っぽくなる。

看護の仕事は感情マネジメントの連続である。それが優秀な社会人として認められる根本であることは間違いない。

どうすれば、自分らしさを失わない看護師になれるのか、という問題提起は、看護師としての自分にどう向き合っていくのかというキャリア上の大きな問いでもあるだろう。

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