看護理論と現象を照合した結果リフレクション体験が必要

起こっている現象をある側面に分けるときや解釈するときには、なぜそのように分けたのかを多くの人が納得できるように、説明できることが不可欠です。それには既存の知識である理論などを使うことが求められます。

それは、看護の現象は複雑であり、さまざまな分類や解釈をすることができるので、その現象の解釈は人によって違ってくることが考えられるからです。

看護師は実際の現象を経験している

看護師さんが選んだ考え方を使えばこう分けられるし解釈できる、と説明して、それを周囲の人が〈フライの考え方が基盤であれば納得できる〉と思えることが重要だと考えます。これが科学性の保証につながるのです。

このことを、事例検討を行なうときには、強調して何度も繰り返し伝えています。それは看護師は実際の現象を経験しているので、自分たちなりの考え方をもっていることがあるからです。

自分たちが実践を通して感じたことは看護師たちにとっては大切なものですが、部署の文化である考え方に支配されていたりすると、理論の考え方を受け入れられなかったり、その分析や解釈が実践とそぐわないと感じることがあるのです。

こういったことを看護師に実感してもらうのは意外と難しいようです。1回では何のことかわからないばかりか、考えが混乱したり、自分たちの考えを否定された気持ちになるかもしれません。しかし、そうではなく、それぞれの看護師の考え方や経験は1つの事実として受け止めます。

そして、共通の考え方で物事を解釈して考えていくことが、その現象を知らない多くの看護師に実践を伝える有効な手立てであることを知ると、看護経験を通して凝り固まっていた看護の現象の見方の幅を広げていくことにつながることを実感してもらえると考えます。

看護師としての自分と向き合うこうしたプロセスを通して、南さんは自分の考え方に気がついていきます。実践を行っていたときには「早くセカンドオピニオンを受けに行くことができれば、治療も進んでいくのに」と思っていたのですが、この検討を通して、Aさんにはなかなか踏み出せないジレンマが重なり合ってあったことに気づくことができました。

このことは経験を柔軟な思考にするためには重要な気づきです。そして、あわただしい臨床現場の中で、時間をとってAさんの話を聴いていたことに重要な意味があったことにも気がつき、検討を通して自分と向き合うことができたと考えられます。

リフレクションでの学びを共有する

学会での発表と「リフレクションの体験を語る」場の違い

看護師さんのように事例研究的にリフレクションに取り組んだ看護師が、リフレクションでの知見やリフレクションの過程での体験を、実践に活用するために「リフレクションでの体験」を他の看護師の前で語ってもらいました。

看護師さんは、半年間かけて、グループの仲間と事例を検討し、リフレクションした結果を学会で発表しました。結果を公表することで得られた知見を多くの看護師と共有することができました。

学会では、当然のことながら得られた結果が全てであり、リフレクションを行った体験が南さんにとってどのようなものであったか、また、その得られた結果を今後の看護にどのように活用しているかは検討されません。しかし、実践家である看護師にとって、知見は大切ですが、その知見をどう活用していくかを検討する場が必要なのです。

リフレクションの体験を語る場をつくる

リフレクションで得た知見だけではなく、リフレクションのプロセスで得た体験と、その後の看護への取り組みを他の看護師と共有する場について考えてみましょう。

2007年度からリフレクションを行った看護師を院内研修の講師に招き、事例への取り組みとその実際、およびリフレクションで得られた知見と体験を実践にどのように活用しているかを語ってもらう取り組みを始めています。

例えば「慢性病看護」研修の一旦として、 1つのテーマを決めてそのテーマに合致したリフレクションに取り組んだ看護師を講師として話をしてもらい、その内容に沿って事例を検討し、さらに事例で活用した理論などの説明を行うといったものです。

つまりここで大切なのは、学会発表のように、得られた知見の伝達を主眼におくのではなく、「このようにしたらこういった知見が得られた。それは自分にとってこういう意味があった」というリフレクションの体験を語ってもらうことに主眼を置いているのです。

看護師さんが講師として参加した研修は「慢性に経過する患者への看護」というテーマのもと、「患者のもつジレンマと看護」としました。看護師さんには事前に「リフレクションを行おうと思った動機」「リフレクションで得られた知見」「リフレクションを行って学んだこと」「その学びを実践でどう活用しているか」を話してほしいと依頼しました。

看護師さんはこの依頼に即してリフレクションを行おうと思った動機を次のように丁寧に話してくれました。

リフレクションをリフレクションする

看護師のリフレクションをリフレクションする

Aさんは入退院を繰り返す中ではじめの頃から、セカンドオピニオンについて考えていました。今回の入院では、治療が思うように進まずに何もしない状態が続いたことや医師への不満があつて、連日、看護師に話し、長いときには1時間に及ぶことがありました。

話の内容はほぼ毎日、同じでしたが、看護師は、そのときに話さないとどうにかなってしまうような雰囲気を察し、話を聞きました。看護師は具体的に話を聞いているつもりでしたが、Aさんは迷いセカンドオピニオンヘと行動を起こさない日が続きました。

Aさんが迷つていると治療が進まないので、Aさんの時間がもつたいないと、もどかしい思いがありました。Aさんは家族にも頼ねない、自分も決めることができないと言いました。

家族でも医師でもなく看護師に多くを話すことから、Aさんにとって看護師の存在の大きさを感じて、〈プライマリナースとして、どうにかしてあげなきゃ〉という思いもありました。それなのにAさんの反応はいまいちで、ずっと同じことを言うばかりでした。

それで、Aさんがセカンドオピニオンにいくと決めるまでに何に悩んでいたのか、そして、行くと決定するまでに看護師はどういう援助をしたのかを明らかにしたいと思いました。

ここにはAさんに寄り添いながら、Aさんが何に困っているのかの焦点を当てることができない看護師の思いが語られています。看護師にとってこのような状況はよく遭遇するのではないでしょうか。

また、看護師さんにとって、リフレクションで体験したプロセスを語ることは、リフレクションを行ったことにどういう意味があったのかを、振り返る機会になっていると考えられます。つまり、研究発表とは違い、自分の考えや感じたことを自分の言葉で話す機会になっているのです。

思考を拡げる

看護師さんに、リフレクションで得た知見を語ってもらうときに「Aさんの意思決定までのプロセスをどう支えたか」「Aさんが意思決定をすることをどう支えたか」の2つの視点を中心に語ってもらいました。これは、看護はプロセスであると同時に、今ここで、という瞬間が大事であるからです。

Aさんの長い入院生活の言動と看護師のかかわりをみていくうちに、Aさんの複雑な思いが明らかになりました。 1つは自分自身の病気とその今後について、そして医師について、さらに妻と子どもと自分の気持ち、という3つの葛藤があり、それらが同時期に起こり、セカンドオピニオンに対する意思決定に影響を与えていることがわかりました。

そして、Aさんとかかわっているときにはそうと認識していなかったのですが、それまではぐらかされているように感じ続けていた看護師は〈このとき!〉と思って「今まで決めたことがないのであれば、今がAさんの決めるときではないのですか」と、話したことがきつかけとなり、Aさんがセカンドオピニオンに行く意思決定をしたことがわかりました。

看護師は話を聞くことにより家族それぞねに話を聞いたり、医師への橋渡しをしたり、Aさん自身が自分の思いを整理して答えをみつけることができるようにかかわっていたことが明らかになりました。

この語りは自分の看護体験を単に語ることとは違っていると考えます。看護師さんは、看護の現象で起こっていたことを分析し解釈した内容を自分の言葉で語っています。これは「行為についてのリフレクション」として「ある特定の状況で用いた知識を明らかにするためになされる回顧的な吟味」であると考えられます。

この「回顧的な吟味」を行うことによって、看護師さんが何を得ることができたかというと、Aさんには3つの葛藤があり、看護師は実践しているときには「はぐらかされている」と感じていましたが、実はそうではなくて、それがセカンドオピニオンヘの意思決定に影響を与えていたこと、それに対して看護師は「Aさん自身が自分の思いを整理して答えをみつけることができる」ケアを行っていたことが明らかになりました。

看護師さんは「はぐらかされている」と感じていた「Aさんの話を聞く」ことがAさんにとっては大事なケアであり、そのケアには意味や価値があったのだと言葉で表現することができたのでした。

この行為は、リフレクションを通して科学的に自分たちの実践を分析し、解釈することによって、はじめて行うことができるものであり、看護師さんは「行為についてのリフレクション(renectiOn On actiOn)」を行うことができたと考えられます。

個人の経験から看護の知識へ

さらに、看護師さんはリフレクションを行うことによって学んだことや、その学びを実践にどのように活用しているのかを語りました。この研究を行いながら、私たちの言葉が、患者様が意思決定するときにとでも重要であることを実感しました。

Aさんは看護師が相槌を打ってもあまり気にしていないように話をしていましたが、「本当にそう思う?」「君はどう思う?」など看護師の言葉にとても敏感だったことに気がつきました。

意思決定は最終的には患者様がすることですが、看護師は悩んでいることを話してもらい一緒に悩むこと、看護師が一緒に考えていることをわかってもらうこと、悩みの中に対立しているものを探し出すことが必要であることを学びました。

患者様は看護師に話すことで自分の思いの再確認をし、気持ちを整理し意思決定ができない次期でも気持ちが楽になるなどのことがあることも学びました。

さらに、悩みの内容のどこに患者が価値を置いているのか、どういう考えをもっているのか見出してかかわることが必要なこと、ジレンマをもっている患者様が納得した答えをみつけるまでにはその人なりの時間がかかわることも学びとなりました。

この看護師さんの語りで私が注目したのは、看護師さんが「私たちの言葉が、患者様が意思決定するときに、とても重要であることを実感した」と語っていることでした。リフレクションをするまでは、Aさんへのかかわりが、どのようにAさんに影響を与えていたのか確証がもてないままだったのです。

事例の分析を通してAさんがどのような状況に置かれていたのかを端的に語れるようになりました。また、看護師がAさんと話をすることは、「悩みの内容のどこに患者が価値を置いているのか、どういう考えをもっているのか見出してかかわることが必要なこと、ジレンマをもっている患者様が納得した答えをみつけるまでにはその人なりの時間がかかわること」と、その意味を見出すことができたのです。

この経験は看護師さんにとって、今後の看護につながる大切な核となる事例になり、今後、何気なく患者と話をするときにも、話すことの意味や患者が語る言葉(または語らないこと)の受け止めの重さが違ってくるのではないかと考えられます。

もう1つ注目したことは、看護師さんの語りの中で「Aさん」という個人から「患者」という普遍性のある言葉に入れ替わっていることです。看護師さんは認識の階段を登ることができたのだともいえるでしよう。

続いて、看護師さんのリフレクションの体験を、看護師間で検討を行いました。参加者は5、6年目の看護師を中心に14名でした。そのうちの1名であったB看護師は以下のように自己を振り返って語りました。

看護師さんの話を聞いて患者様が何に悩んでいるのかを理解し、患者様が納得して解決できるようにかかわることが大事だと思いました。忙しいと1人ひとりの患者様に話を聞く余裕がないのが現状です。でも、看護師さんの話を聞いて、患者様の思いを聞くきっかけを自分から逃していると思いました。

悩んでいる患者様に対してしっかりかかわる姿勢が大事で、 1つひとつのサインを大切にすることを学びました。そして、自分の看護を振り返る機会になりました。話すタイミングや座る位置、自分の思いを伝えるなどの大切さを考え、自分の看護が浅いと感じました。

患者は家族に心配かけたくないと思うし、患者は家族に話す内容と看護師に話す内容が違うこともあります。話された内容が、いったいどういうことであったのか、アセスメントして意識して看護を行いたいと思いました。

B看護師は看護師さんの話を聞き、患者とどのようにかかわればいいのかという、方法(How to)ではなく、「悩んでいる患者様に対してしっかりかかわる姿勢が大事」であるという態度(amtude)を学ぶことができました。

これは看護師さんがリフレクションの体験を、自分の言葉でナラテイブに語ったことによるでしょう。B看護師は南さんの語りから、「実際の現実に備えつつ、よりよい可能性を思い描く」ことができたのだと考えられます。

そして、B看護師は看護師さんの語りでの実践と自己の実践を振り返る機会になり、それが看護への信念となっていることが伺われます。B看護師は「忙しい」と感じている実践の中で、患者と向き合って話を聞くことの意味を検討し、そこから自分の課題に気がつき、今後の看護実践への足がかりを見出すことができました。

B看護師はさらに次のように語りました。同じような訴えの多い患者様は、看護師にとつてマイナスイメージになります。そういう患者様はいつも同じことを言っているように聞こえてくるのも事実です。

でも、患者様は同じようなことを言っていても、「いつたい何を言いたいのだろう」と考えることの積み重ねや、訴えたことが変わるのに気がつくことが大事だと思いました。そのために共感して話を聞くことの積み重ねが大事だと思いました。私自身の意識が変わったと思います。

B看護師は実践を行いながら「この患者はいったい何を言いたいのだろうと考えること」の大切さや、患者の変化をとらえることの重要性を言葉にすることができました。これは、実践を振り返る方法や、患者の話を聞き、患者の変化をとらえることの価値を学ぶことができたといえます。

ウィーデンバックは看護行為を決定するものの1つに「看護師がそのときに、何を感じ何を考えたか」があると述べています。これは私たち看護師が大切に教育されてきたことです。

看護師はこのような力をもっているのですが、臨床では一瞬のうちに考えて行為を行っているため、考えていることが意識されにくくなっているのではないかと思うことがよくあります。

まとめ

今回のような取り組みは時間と労力がかかるものですが、実践を分析的にとらえる力とそれを共有して検討していく力をつけていくことが大切です。なぜなら、看護師1人ひとりがケアを行う実践者であるからです。

そして、このような時間をかけた取り組みや考えながら行った経験を地道に積み重ねていくことが、実践力の向上につながり、ひいては組織や看護そのものに影響を与えることができ、看護師個人の実践能力の向上が、所属する組織の発展と看護の質の向上につながるのです。

さらに組織の発展、あるいは他の看護師の成長によって、自分の実践がさらに磨かれることを実感してほしいと思います。それが、何らかの健康障害を有して、看護師の手を必要としている人々への貢献であるのです。

個人の看護師の実務能力の向上が組織を高める

看護師個人の能力向上を組織化する


 

(東めぐみ:経験と思考― ― 看護師が経験を積むということ,臨床看護,35(1),P26-33,2009より著者作成)

1)リフレクションの和訳として、『省察的実践とは何か― プロフェッショナルの行為と思考』(ゆみる出版、2003)の訳注によれば、「反省」という言葉は、自分の過去の行為について批判的な考察を加えることを意味し、過去への思考と批判性が強く出がちであること、「振り返り」には過去をかえりみるという意味があり、批判的な考察というニュアンスは減退するものの、過去への指向性が残ること、「内省」は自分の内面を見つめることのみが重視される可能性があることから、「省察」が採用されたとあります。また、2005年に出版された『看護における反省的実践― 専門的プラクテショナーの成長』(ゆみる出版)においては、「ショーンの思想が未だ日本の看護界において身近になっていない現状を考慮して」(「訳者あとがき」p289)、訳語ではなく「リフレクション」「リフレクテイブ」という表記が使用されています。
引用。参考文献
1)ドナルド・A・ショーン:省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考,柳沢昌一・三輸健二監訳,鳳書房,p.v,2007.
2)J.デューイ:民主主義と教育(上),松野安雄訳,岩波書店,p222-237,2007.
3)ドナルド・ショーン:専門家の知恵― 反省的実践家は行為しながら考える,佐藤学・秋田喜代美訳,ゆみる出版,p19,2003.

※この記事に使用している写真(画像)は、医療法人社団清心会 藤沢病院 看護部 から引用させていただきました。

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