看護師経験年数から生まれる感覚は霊感に匹敵する理由

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石原さとみ扮する主人公の美空あおい(ナースあおい)は、胃潰瘍と診断されて入院することになった梅沢サエさんを担当している。

そのうち、梅沢さんは胃痛の他にも肩こりや歯痛を訴え始めるのだが、その痛みが左側だけに起きていることを知ったあおいは、何か胸騒ぎを覚える。

「気になることがあるんです」とあおいは医師に再検査を申し出るが、歯痛は専門じゃないとまったく相手にされないどころか、看護師の分際ででしゃばるなとにらみつけられる。

今度は、夜勤中の主任看護師に対して「何かひっかかるんです」「前に似たようなケースがあったような気がするんです」と食い下がる。

まさにその直後、梅沢さんは心筋梗塞で倒れてしまう。

結果的には、あおいの迅速な判断で一命を取り留めるという場面であった。

美空あおい看護師『Ns’あおい』(ナースあおい)は、こしのりょう作の漫画『Ns’あおい』を原作とするフジテレビ系列のテレビドラマ。

主演の石原さとみは民放の連続ドラマ初主演である。

2006年1月10日から3月21日まで、毎週火曜日21:00 – 21:54放送。  Wikipediaより

看護師の感覚がものを見れる

看護師が登場するこれまでの映像は、どたばた劇であったり、患者の気持ちに添う優しさだけが前面に出ていたりするものが多かったが、『Ns’あおい』は看護師の臨床能力をわかりやすく伝えようとしている点で好感がもてた。

あおいが行なったような臨床判断は実際よく見聞きすることであり、より現実に近い看護師の姿が描かれていると感じられたからだ。

経験年数の多い看護師は何かを持っている

この類の話は、たとえば前のセクションでも紹介した研究の中にも出てくる。

患者の様子が「何か変」という看護師の感覚がどのように始まり、どのように帰結するのか、そのプロセスを明らかにしている。その中でも非常に印象的なのは、食道がんの手術前の患者が落としたコップを拾おうとして、いつもと違う患者の口臭を「何か変」と感じた看護師の例だ。

その看護師は、口臭から大出血が起きることを予測し、夜中の2時であるにもかからず医師を呼び出した。医師が駆けつけるまでに患者は吐血してしまうのだが、何とか助かったのは彼女の判断のおかげに他ならない。

何かひっかかるような胸騒ぎ、何か変だと感じる不確かな手ごたえといった感覚は、状況の深刻さは様々であるにしても、数年の経験を積んだ
看護師ならば何かしらもっていそうだ。

ベナーも同意見

経験が積み重なると、ある現象から全体を予測できるようになるというべナーの見解もある。

問題は、このような胸騒ぎや変だという感覚が、いつも繰り返し正確に起きるとは限らないということだ。

「べナー看護論-達人ナースの卓越性とパワー」いいう表題で、日本語で読めるようになったのが1992年。

べナーは、チェス競技者やパイロットを対象にした調査から明らかになったドレイファスモデルと呼ばれる技能修得モデルを用い、看護への適用を試みた。

その結果、ドレイファスモデルと同様に、看護師も「初心者」「新人」「一人前」「中堅」「達人」というレべルを経て技術を修得していることが明らかになったのである。

べナーの考え方を臨床に持ち込んだ病院では、「私は一人前」「あなたは新人」「彼女は中堅」というように、技能修得レべルに応じてナースを分類するようになった。

未熟な看護師必見!「これからの看護」のヒント より引用

2つの側面から考察できる

一つは、看護師によって”通常”と捉える範囲が違っていたり、患者のある側面に関する規準が異なっていたりするため、同じ現象を見ていても、変だと感じる人と感じない人が出てくるというものだ。

もう一つは、同じ看護師であってもその時々の状況によって変だと気づかないことがあるというものだ。たとえば、忙しすぎるとか他のことに気を取られているといったような状況下にあるときである。

エキスパートには、優れた臨床判断を時折みせるのではなく、この2つの側面をクリアーし、かなり日常的にそのすごさを発揮できることが求められるように思う。

エキスパートの知識

ゴルフのトーナメントで、優勝に導く約12mのパットを沈めたからといって、そのゴルファーがいつも同じように沈められるわけではない。

それを考えれば、たとえその道のエキスパートであっても再現可能性を確保するのは難しいと考えられる。

ところが、グラッドウェルは、おもしろい例を紹介している。

テニスコーチとしてエキスパートであると名高いヴィク・プレーデンは、テニスプレーヤーがサーブを打つ前に、そのサーブの行方がダブルフォウルト(サーブを2回続けて失敗し、相手方の得点になること)になるかどうかを17分の16の確率で当てるというのだ。

なぜ予見できたのかをプレーデンは言語化できないし、後からサーブのシーンをビデオで見ながら解説を求めても核心部分を語ることができなかったという。再現性は十分にあるのだが、そのことの説明がつかないのである。

暗黙知の側面

よく耳にする言葉だが、このような知は一般的に「暗黙知」と呼ばれる。

「我々は語ることができるより多くのことを知ることができる」ことを暗黙知と呼んだマイケル・ポラニーは、具体例として、多数の人の顔を区別することができても、一人一人の顔の違いをどのように認知するに至ったかは説明できないし、顔は判別できてもそれぞれの顔の諾部分にまで言及するのが困難なことを挙げている。

これは、「我々は顔の諸部分を、我々が注目する全体としての顔との関連において感知している」からだと説明されるのだが、彼は、これを暗黙知の現象的側面と考える。

詳細は省くが、他にも、機能的側面、意味論的側面、存在論的側面にも言及し暗黙知の全体像が示されている。

たとえ語ることができなくても、実は”知っている”という意識がなくその細部について知っていることがある。それらの細部があるまとまりとなったときに、初めて”知っている”ことが意識きれる。

意識されていない細部をどのくらいたくさん知っているのか、また、それらの組み合わせ方をどの程度知っているのか、そして、組み合わさつたものを”知っている”ことに結びつける方法をどの程度知っているのかといったようなさまざまな条件が、在るものと知ることを結び付ける。

そのとき、新たな知が創発される。エキスパートとは、そういう知を創発する力のある人をいうのだと思う。

エキスパートになれる人

それでは、どういう人がエキスパートになるのだろうか。フロリダ州立大学心理学部のRichard Wagner氏は、講演の中でCenter for Creative
Leadership Studyでの研究成果に触れ、暗黙知はIQ (知能指数)とも性格とも無関係であることを説明した。

生物学的な能力や性格だけで暗黙知が説明できないことに多くの凡人は安堵するだろうが、最低10年間のトレーニングが必要であることは様々な領域のエキスパートに対する調査で明らかになっている。

しかも、かなり没頭して自らを研鑽するような練習を積む必要がある。天才は一日にしてならず、である。その他にも、記憶装置や認知能力などがエキスパート性を示す要素として論じられている。

看護師エキスパートに関する実証研究

看護師エキスパート

思いやりエキスパートナース制度 / 善仁会


 

エキスパート現象と呼べるものが何であるのかを実証的に探ろうと思えば、その現象がある特定の状況下では確実に起きるということ、コントロールされた条件下(実験室の中で)で再現が可能であること、そして、客観的で絶対的な測定方法が求められる。

これら3つの判断基準をもとに数多くの研究がなされているが、研究の成果として先ほどの最低10年のトレーニングというのは共通しているようだ。

これは、折に触れ引用されている”玲年ルール”と呼ばれるものである。

国際的に活躍するチェスの競技者、音楽家、スポーツ選手などを追うと、いかに元々素質がある人であろうとも、その域に達するには最低10年間の集中的な取り組みが必要だというものである。

国際レべルでなくとも、自動車営業でよい成績を収めるには10年間の下積みが必要であることもわかっている。

PubMedで検索する限りにおいては、看護師と10年ルールの関係はまだ明らかにされていないようだが、臨床経験年数が3年や5年でエキスパートと呼ばれる人を耳にしたことがないという現実を考えると、看護師にも当てはまる数値かもしれない。

これまでのエキスパートに関する実証研究は、主にスポーツ選手や芸術家を対象にしてきており、いわゆる専門職のエキスパート性を実証することには積極的ではなかった。

Ericssonは、医師の病理学的診断臨床診断手術の3つの角度からエキスパート性について論じているが、これまで実証されてきた音楽家やスポーツ選手などとは基本的に異なる点が多いので一概に比較できないとしている。

その違いとは、医師の場合、20歳を過ぎてからその職に就くことや、診断の正確さはミニマム・スタンダード(最低限必要ときれること)であるため、再現可能性が低いと医師の資質として問題になるといった点である。

概して、医師の判断や行為のアウトカムは看護師のそれらよりも明確だと言われているが、その医師のエキスパート性ですらそれほど明らかにされていない。

看護師のエキスパート性を明らかにする実証的な取り組みは、今後の研究者の手に委ねられている。

問われるのは経験の質

専門的能力がエキスパートのレべルに近づいていくためには、ある程度まとまった期間と弛まぬ努力が必要であることは先に述べたとおりだが、もうひとつ大事な要素がある。

それは、経験である。IT関連の仕事で優れた能力を発揮する人たちは、年々少しずつ難しい仕事を任されていく中でエキスパート性を伸ばしている。

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IVR学会・CVIT合同認定インターベンションエキスパートナースより引用

「苦労は買ってでもしろ」などという言葉は今ではほとんど聞かれなくなったが、苦労や困難に立ち向かうことは人の成長に欠かせぬものとして奨励されている。しかし、経験は積めさえすればよいというわけではなく、どのような経験なのかというその質が大事になってくる。
京都大学で行われたシンポジウムで、組織における知識創造研究の大家である野中郁次郎氏は、知識変換のプロセスについて説明された。その
折に、プロセスにおいては「共有される経験そのものの質がよくないと意味はない」と付言されたのには非常に納得がいった。

また、「修羅場体験を意図的に作ることが大事」だとも言われたことは、”質のよい苦労なら買ってでもしろ”と同義である。

先天的に才能に恵まれていたというだけでなく、質の高い経験を積みながら時間をかけて日々努力することでエキスパートに近づくという仮説が成り立つとすれば、個人の努力だけではなく、質の高い経験をどう保証するかがキャリア発達を支援する側に問われることになる。

負担すぎない程度にチャレンジだと感じられる仕事を段階的に担ってもらうこと、経験をフィードバックする機会を持つこと、任されたという感覚とできたという感覚を持てるような仕事の配分をすることなどが考えられる。それらを組織としてどのように保証し、実際的な支援として体系化していくかが課題となろう。

まとめ

エキスパートになりえる人が、個人的にいくらがんばっても経験の仕方がよくなければその力を発揮できない。

逆に周囲のサポートや教育的配慮に恵まれた環境にいても、本人が時間をかけて努力する姿勢を持たなけれぱもったいないのである。エキスパートへの道のりは、近くて遠いのか、はたまた遠くて近いのかよくわからないが、少なくとも天性のものだとあきらめるのも、運に任せて何もしないというのも得策でないようである。

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